ブログやSNSは履歴書代わりになりうる
ブログを書くようになってもうすぐ1年、よくぞここまで続いたものです。
ある程度ブログに手ごたえを感じたところで、もう一段階ステップアップすべく、カエレバ・ヨメレバを作成したかん吉さんの著書「ブログ運営×集客×マネタイズ」を読書中です。
その中に、”ブログやソーシャルメディアは履歴書と同じだ”といった旨の記述がありました。
ううむ、なるほど。ということは、このブログも私ゆ~ていの履歴書になりうるのでしょうか。
事件があったとき、ブログやSNSで人柄が見られてしまう
数日前、電通の社員が自殺した事件がありました。
ところがネットを見てみると、自殺した社員に対して結構攻撃的といいますか、批判的なコメントが散見されるのです。
それは、社員が生前に残したTwitterの書き込みを見て、同情的な気分を失ったためです。
いまは社員のTwitterのアカウントはカギ付となっていますが、キャプチャで書き込みの一部を見ることができました。それを見て、たしかにこれは・・・といった記述がありました。
(キャプチャを加工していないという前提で)私も社員に対し、良い感情は持ちませんでした。
このように何か事件があった場合、当事者がブログなりTwitterなりを残していたら、真っ先にそういったメディアは白日の下にさらされ、メディアの主の人柄の判断材料にされてしまうでしょう。
ブログは確かに履歴書代わりになりうる
本ブログをたどれば、私の個人的な投資の履歴が全て分かります。
世の中には架空の取引を記載した”バーチャ”と呼ばれる記事もあるそうですが、本ブログの記録は全て事実です。(誤記はあるかもですが・・・。)
そして文体から、本人は意識していなくても、第三者から見ればある程度の人柄も分かってしまうかもしれません。
そういった意味では、投資履歴と人柄という面で、このブログなりTwitterは私の履歴書の代わりと言えなくもないでしょう。
だが、書きたいことを書くのは変わらない
履歴書代わりになるからといって、有事の際に晒されるからといって、万人に好かれるような、当たり障りのない書き込みばかりではつまらないと思います。
本ブログでは、度が過ぎるような不快な書き込みは絶対にしないように心掛けていはいるものの、場合によっては少しのユーモアや毒も適度に織り交ぜるようにしたいです。
極論を言えば、まじめ一辺倒の文章を読みたいのなら、ブログじゃなくて新聞や雑誌を読めば良いのですから。
ほんのちょっとのスパイスを加えることで、ブログはより面白くなるものだと、この1年間で学びました。
今後も私ならではの感性・思考・良識に従って書きたいことを書き、このブログをオンリーワンのメディアに仕立て上げていきたいです。
毒というスパイスを過剰に投入して炎上しないよう、気を付けないと・・・。